創業から154年目を迎えた善光寺高台のお宿。地名の箱清水は「良い清水」が湧き出 ていて、かつては善光寺周辺(1km範囲)においしい水を売っていたと伝えられている。水道設備が設置されるまでは貴重な水の供給源であった。
当館は川中島の戦いの折、上杉謙信が陣を執った「物見岩」の直下にあるが一説には「良い水」があったから陣を構える要因にもなったとも言われている。
山の神温泉の温泉由来については、小林一茶が日記の中に「山の神の湯に入りて」と書いている。現在、一茶の旅姿を思う時に善光寺周辺まで俳句の弟子を訪ね、仲間と湯につかったのかもしれないと思われる。当館の6代前の先祖が埜水という俳名を持って(安政6年没)句を作っていたのである。一茶と何らかの関係を持っていたのかもしれない。
154年の間には「ひなびた宿」として、数寄者達が立ち寄っていたのかもしれない。昨年も、長野の郷土史家から明治中期の山の神の写真の提供をうけた。黄色く染まってはいたが、歴史の長さを感じさせられた。
当館周辺は弥生式土器がたくさんに掘り出されたり、果樹栽培が盛んであったり、住の環境としては最適であったと考えられる。今でも早朝の浅間山、菅平からの「日の出」、毎朝行われている善光寺「お朝事」の行事。下界を見ながら、すがすがしい「朝」を迎えるには現代に残された貴重な立地と思われる。 |